感じることが苦手な理由

大阪で、心理学仲間たちとヨガ♡

ここ数日で、気づいたことがある。
私は昔からどうも「感じること」が苦手。
その分「分析」は得意なのだけど。
(参考)
とくに
「その場を体感する」っていうのが苦手。
部屋でひとりきりの状態、
つまり「安全な場所」で
ノートで出てきた自分の感情を
感じてみるなら、まだいい。
だけど例えばずっと関わってる
体感セミナーみたいな場所で
人がたくさんいて、
みんなが感情を感じてて
涙を流してる
そんな場所では、
みんなほどにはまだ感情に
「入り込めない」自分がいる。
なんでだろう?
なんで「入り込む」のが怖いのかな?
と考えたときに、
「危険だから」
がでてきた。
体感に没頭してる間に「何か」が
起きたらどうするの?
そんな恐怖があることがわかった。
思えば私は小さなころから
家の中ではずっと「警戒」している
必要があった。
いつ怒鳴り声が飛んでくるかな?
いつ暴力の音や悲鳴が聞こえてくる?
それが起こらないように、
そして起こったときに
心がぶっ壊れないように、
私はいつも警戒と準備をしている
必要があった。
そんな状況で呑気に
「感じるモード」でなんて、
いられないのです。
これが分かって、自分が少し
「かわいそう」になった。
「私ってかわいそう…」
そう思えたら、
「よく我慢したね」「たくさん頑張ったね」
そんな気持ちにつながって、
少し癒された気がした。
自分のことを自分でちゃんと
「かわいそうだった」
って認めてあげることって大事だな。
そこを認めきれてない人が、
人に「私ってかわいそうでしょ?」
をアピールしたがるのかもしれない。
おっと、少し脱線したけれど。
私の「感じることが苦手」には、
ちゃんといくつもの理由があった。
今回発見したのはその中のひとつ。
感じることはたしかに苦手で、
それはこれから延ばしていきたい
(というか本来の状態に戻していきたい)
部分だけれど。
そのおかげで「分析」が得意になった
そんな自分の持ち味には感謝だな。
そのおかげで今の仕事ができてるし。
そんなことを思った、夏の終わりでした。
ちゃんちゃん。
小松あすみ