感情に流されることと感情を認めることは違う。
感情を感じて解放することと感情に流されることは違います。
「感情に流される」とは、マイナスの感情から衝動的に行動しちゃうことだよね?
恋愛でいうと相手にすがったり、へりくだったり、何とか連絡を取ろうとしてあれこれ画策してしまったり。
何もしないほうがいいって分かっているのに、
「ごめんね。わたし何か気に障るようなことしたかな?」
「忙しかったかな?時間が出来た時でいいから返信もらえると嬉しいです。」
とか連絡しちゃったり…笑
こんなセリフは相手にとって自分の価値を落とすだけ。
もしくは蓄積した我慢が爆発して、怒鳴ったりなじったり、ストーカーになっちゃったりね。
こういう時、人は自分の感情と真正面から向き合うことから逃げている気がします。
自分の中に寂しさの真っ黒いドロドロした塊がありまして、
本当はその黒い塊と向き合って溶かしていけばいいだけなのに、それをするのが恐いから、外側に向かって行動に走ってしまうんだ。
彼と連絡を取ることに必死になっている間は、そちらに気を取られて自分の中のブラックを見ないで済むから。
自分で自分を、ナイガシロにしているわけです。
わたしの中の「もうひとりの私」を無視して冷たくあしらっているから、結局相手にも同じことをされるんだな。
「感情的な女ウゼー」とか言われるはめになる。笑
メンヘラとかヒステリックって呼ばれる状態は、これのことかなと思います。
(せっかく落ち込んでいるので、落ち込んでるからこそのリアルな記事を書いてみました笑)
感情を感じるのに一番手っ取り早いのは、やっぱり紙に書きだすことよね。
感情に流されるのも「行動」。
紙に感情を書き出すのも「行動」。
あなたなら、どっちの行動をとる?
自分での戒め記事でもあったのでした
今日も感情デトックスノートが大活躍のわたしです
Asumi
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