自分に潜ったセッションの備忘録。
※記事にリンクを追加しました
今日の絵はもう技法も雰囲気もへったくれもないです。殴り書きですよ殴り書き。
これ、今日のセッション中ずっと見えてた光景です。
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今日はずっと楽しみにしていた体験セッションを受けました。
コーチングになるのかなって思ってましたが、多分これそんなもんじゃないです
普通のコーチング受けたことないから分かんないけど…
完全に自分のための備忘録でありメモです!
長くなる上に人が読んでもつまらないと思います。
でも書きます。
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くりさんと言う方にお願いしました。友達からの紹介です。
くりさんのブログはこちら
「天性をいかす!天職をつくる!楽しく生きる!てんがく(天楽)への階段」
何やら、「自分と一緒に自分の中に潜ってくれる感じだよ」と教えられていました。
その意味が分かりました…
メモを取らなかったんで若干うろ覚えですが、くりさんはまずセッションについてこんな風に説明してくれました。
すなわち人には、上から思考、感情、感覚、そして根底にいのち(存在、在り方)がある。
このセッションでは一番下にある、いのちの声を聴くのが目的ですよと。
つまり死ぬまでに本当に本当にやりたいことのことだと思います。
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友達2人を誘ってのグループセッションでしたが、わたしを一番はじめにやってもらいました。
まずは軽くどんなことがやりたいのか、どんなことを今日持ち帰りたいのかを聞かれました。
わたしは
自分のやりたいことはずっと絵だと思っていたけれど、yukiさんに憧れてある日突然セラピスト的なことがやりたくなったこと
絵は多分、「やりたいこと」ではなく「出来ること」という基準で考えていたのだということ
絵からセラピストへのあまりの方向転換だったため不安になってこのセッションを受けようと思ったこと
でも最近は自分自身でも掘り下げることが出来てきて、この方向性で合っていると思うこと
だけど所謂「カウンセラー」「セラピスト」は違うような気がすること
最後の詰めのようなところでまだ迷っていること
を伝えました。
「最後の詰め」が何だったかというと、yukiさんが発信してることに対してのザワザワ感。
つまり、カウンセラーであれば明確な答えを提示するべきではないのに、
yukiさんは「自分を愛してくれる人と幸せになろう」「そうじゃない人は切って捨てよう」と、ずいぶんシンプルに自分の意見を述べまくってること。
わたし自身の今後の恋愛について考えさせられるからでもあるんだけど…
それ以上に、心や生き方を扱う仕事をするのなら、こんな明確なスタンスを提示しちゃいけないんじゃないの?ってずっと思っていました。
例えば根本さんのように「どっちに転んでも、何を選んでもいいんですよ~」と答えを出さないのがカウンセラーとしてはたぶん“正しい”在り方。
この問題はブログでも何度か書いてきたし、答えを見つけて納得いったような気もしてたのだけど(つい一昨日くらいの記事でね。笑)
カウンセラーさん・セラピストさんの記事を見ては「やっぱり色んなクライアントさんがいるのだから、答えはその人の中にあるのだから、自分のスタンスをゴリ押しで提示しちゃいけないよな~」と思い、
でもyukiさんの記事に戻っては、「このメッセージ…強烈…逆らえない…」と思ってずっとずっと悩んでた。
くだらない、小さなことかもしれないけど、だけどわたしは悩んでた。
そして、やはりその悩みには意味があった。
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くりさんは目の前にいる人の「声」を聴き、その言葉がいのちに近い部分から発せられたものなのか判断するんだそうだ。
わたしが上記の悩みを話した後、くりさんは言った。
「あすみさんが語ってくれた中で、明らかに声が大きくなった部分がありました。どこでしょうか?」
自分でもわかった。
それはyukiさんについて語ってたとき。
yukiさんについて、「この人は(普通のセラピストと違って)『自分』を体現して、『自分』が幸せになった方法をそのままシェアしてるだけの人なんです。」
って言った時だった。
「自分」がキーワードみたいですね、それについて教えてください、って言われた。
だからわたしは、“自分の中にもうひとりの自分説”が物凄くしっくり来ること、昨日なんてブログを書きながらひとりで感動して泣いてしまったことなどをお話しした。
そうしたら、「もうひとりの自分と繋がったことで、どんな風に感じた?」と言われた。
思いつくまま全て言っていった。
その中で今度は「嬉しい」というキーワードに注目することになった。
「もうひとりの自分」になったつもりで、その子の口から台詞を言うとしたら?と。
嬉しい 楽しい 繋がれた 安心した
そこから、
繋がっていたい ずっと一緒にいたい
になった。
この時ぐらいから、この絵みたいな光景がずっと見えていました。
「わたしとその子」は、数学の教科書の表紙にあるみたいな、単純の幾何学的な形をしていた。
で、下のほうで繋がっていた。
わたしとその子は黄金色だった。というか、たぶん黄金で出来ていた。
ここは心の底だから、あたり一面は暗かった。
そして私たちからは、強烈な強烈な緑色の光がずっと出続けていた。
(どんどんスピっぽい雰囲気になってるけど、本当です笑)
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くりさんは、どんどんわたしに言葉を促した。
わたしは上手くまとめようともせず、浮かんできた言葉を機械的にただただ発音していった。
くっついている 光っている 安心してる 一緒に何かをやっていきたい
気づいてしまったからもう離れられない もはや物理的に分断が不可能
くりさんのスパルタは続く。笑
わたしが「発信したい」と行った時、くりさんに「それは本音の声色じゃない」と言われた。
まじ…?発信したい、シェアしたいってわたし思ってたんじゃないの…???
発信じゃないなら、なんだ。
続けるうち、「伝えたい」が浮かんだ。
くりさんは「そう!」と言った。発信と伝える、一緒じゃないの?と思ったけど、違うらしい。
そして、「伝えたいの先には何がある?」と言われた。
難しかったけど、一生懸命その光景に集中するうちに、
賛同を得たい 仲間 一緒に
といったようなことが浮かんできた。
そこからわたしが見る光景が切り替わった。
*
わたしは、ついこの間行われた小学校の同窓会の二次会の景色を見ていた。
―“仲間”。
二次会はカラオケだった。
小学校の同級生なんてほとんど顔も分からなくて「はじめまして状態」の人も多かったのに、
ただ同じ時期に同じ場所を共有してたというだけで、当たり前のように一晩中一緒に盛り上がれる。
わたしは人知れず、こんなことに誰よりも感動していた。
その「仲間感」がただただ嬉しくて、愛おしくて、ほとんど恍惚状態だった。笑
…そっか。これか。
まだまだわたしの言葉は続いた。
常識なんて関係ないところで 同じ次元の仲間と一緒に 本音で繋がって
そこには安心しかなくて
そして、
安心しかない中で死ぬ。
*
ここまで来て、やっとくりさんはOKを出してくれた。
わたしの答え、これらしい。
安心しかないところで、死ぬこと!
*
「カウンセラー」「セラピスト」の肩書はやっぱり、イラナイ。
その肩書があると、わたしはそれを演じようとしてしまうから。
わたしがやりたいのは多分それじゃない。
その人の本音、答えを見つけるお手伝いで終わるつもりはない。(体感してもらう手法としては使いたいけど。)
わたしはわたしの生き方をまるっとそのまま伝えて、必要な人に届けたい。
そんで
それで集まってきてくれた、本音の本音レベルで繋がれる仲間と、常識とは別の次元でわいわい楽しく遊びながら生きて、安心しきって死ぬのだ。
以上です。
あー…セッション、やってよかった。
読んでくれた人…(もしいれば)ありがとうございました♡
Asumi