感情の蓋に助けられるとき
※書いてるうちにどんどん暗ーい内容になってしまった…。刺激強めな内容を含みます。苦手な方は回れ右!!】
これからどんどん感情を感じろ!自分と繋がれ!と発信していきたいわたしですが、
そんなわたしでも何となく分かることがある。
それは、
感情を感じないほうがいい
いや、
感じてはいけないときもあるのだということ。
感情の蓋とは必ずしも悪者ではなく、わたしたちを守ってくれる存在でもあります。
それも、かなり強力に。
根本さんのセミナーでは色々と心理学の知識を教えてもらえますが、人がショックなことに遭遇したときにまず起こるのは、「頭が真っ白」になることなんだそうな。
起きてることが認められず、感情も感じない。これが第一段階。ショックの度合いが大きいほど、これが長く深く続くんだそう。
根本さんは言いました。
小さい子を残して親が亡くなってしまった場合、一番気を付けて見てあげないといけないのは泣いたり落ち込んだりしてる子じゃなくて、
へらへら笑っている子なのであると。
これを聞いてわたしは、小4の時にお母さんを亡くしたクラスメイトの男の子が
「あいつお通夜でニヤニヤ笑ってたよ」と誰かに言われていたのを思い出して、とても居たたまれない気持ちになってしまった。
彼は同い年だからもう立派な大人なんだろうけど、そのときわたしが想ったその人は、10歳の小さな男の子のままだった。
*
例えば、わたしの大好きな大好きな猫のビビアンヌさん。
この子は今年で13歳。
立派なお年寄りなのでそれなりに覚悟をしてるつもりではあるけど、それでもお別れの時がきてしまったら、
わたしは、多分その場で感情を感じることは出来ないと思います。
おそらく、自動的に感情は切られるでしょう。そうじゃないと耐えられないから。
失恋した直後だって、直後に「感情を感じろ」なんて言われたら無理だったよ。そんなことしたら死んでいた。
その時わたしはパニックを起こしつつも、すぐに必死で「有益な情報」探し始めた。
それは復縁のことだったりカウンセリングのことだったりした。
狂ったようにネットサーフィンをすることで、わたしは感情と向き合わなくても良い状態を作っていたのです。
*
そして時は遡り、小さいころのわたし。
本来いちばん安心できるはずの「おうちの中」は、毎日暴力にまみれていました。
延々と続く価値否定・存在否定のことば
いつ起こるかわからない爆発
外まで響く怒鳴り声、陶器が壁にぶつかる音
床に一歩踏み込むドスンという音、脅すために突然立ち上がった時のイスの音
「おら!」という罵声とともに、人が人の肉を蹴る音、殴る音
いたい、ごめんなさい、やめてください、すみません、とこれまた近所中に響きそうな叫ぶ大声、顔から血を流して自分で手当てする母親。
それが当たり前の世界でした。
まだまだたくさんあって全部書けない。
こんな世界で生きなければいけない小さなわたしに、「もうひとりのわたし」がわたしを想ってしてくれたのが、どうやら「感情を切る」ということなのでした。
小さなわたしを助けるため、わたしを生かすため、わたしが死んでしまわないために。
だけど彼女はそれをしたことで、その後何年も何年もわたし自身に無視され、罵倒され、抑えつけられ、酷い扱いを受け続けるはめになった。
わたしは彼女の存在すら忘れていた。
でも、思い出した。
彼女は、ずっと待ってくれていた。
あまりに長いこと無視していたから、感じようとしても中々出てきてくれないけれど。
彼女と仲直りし始めてる今、やっとわかった。
彼女はそれでも誰よりもわたしのことを想ってくれていて、常に最強の味方であったこと。
間違いなく彼女が、世界で一番のパートナー。
生まれる前から一緒、死ぬまで一緒。
死んだあとだって、きっとずっと一緒。
わたしのせいで失ってた絆、これから取り戻していこうと思う。
本当にいつもありがとう。
この記事で、大切なものに気付いてくれる人がいますように。
Asumi