現実逃避にならない「あるを見る」とは
幸せになりたいと思うなら、
そのナイナイ思考を脱出して
「あるもの」にフォーカスすることは
やっぱり超重要です。
「私は現実逃避しないためにしっかり“ない”を見ます」
とあえて表現する人もいて、これも物凄く
真理をついてるなと思うのだけど
まだ自己肯定感があまり高くない
グラついてる人が、この表現を
言葉の表面だけ受け取って
実践しようとするのはとっても危険。
例えば今私が付き合ってる彼。
相変わらず全然話を
聞いてくれない時も多いし
誕生日のジュエリー代は
全部出してくれないし(笑)
「すぐにでも君と結婚したいよ❤︎」
なんて思ってないし
冬の寒い時に向こうのポケットに
手入れようとすると嫌がるし(笑)
↑
前の彼の時はこれよくやってて好きだった笑
「ない」を見ようとすれば
いくらでもある。
実際それで落ち込むこともあります。
だけどこれらをしてくれないからといって
彼が私を「愛してない」ということに
ならないことを、私は知っている。
昔の私だったらこれらをすべて
「私は愛されてない」に結びつけ
相手を責め、八つ当たりをし
結局自分の妄想通り
自ら全てをぶち壊して終わっていた。
そのパターンから脱出したいなら、
やっぱり基本は
フォーカスは「ある」に置いた方が
いいのです。
しかしご存知のとおり、
これを現実逃避と混同してはいけません。
真の「あるを見る」とは
満たされてない部分に目をつぶって
「これがあるから私は幸せ❤︎」
と怒りや悲しみ、寂しさに蓋をする
ことではありません。
「あるを見る」とは、
ただただ現実を見ること。
自分に与えられたリソースを知って
それを有効に活用すること。
例えば昔の私のように
付き合ってるのか付き合ってないのか
わからないのに
家に毎回上がり込んでくるようなメンズが
いる場合(まぁ私が入れてたのだけど汗)、
「でも毎日LINEしてるしね!」
「この前わざわざサプライズでご飯作りに来てくれたしね!」
「どんなに短い距離でも絶対車で家まで送ってくれるしね!」
↑
こんな風に「ある」を見ようと思えば
いくらでも見つかった。
だけど肝心の
「付き合ってるのかどうかハッキリさせたい」
に蓋をしてニコニコしていた私は
結局最後は音信不通にされて終わった。
そう、現実逃避だった。
じゃあこの場合のホントの
「あるを見る」はなんだったのか?
それは例えば、自分にはこいつと別れたって
他の男性とも付き合える価値が「ある」
ということにして
彼に思い切って、自分の思いや疑問を
打ち明けてみること。
そんでもし彼にその気がないと判明しても、
自分には価値が「ある」のだから
次のちゃんとした出会いを求めて
彼とお別れすること。
(もちろん悲しみを思いっきり感じながら)
これが真の「あるを見る」です。
ナイナイ思考にならない。
現実逃避にもならない。
ただただ自分の価値があると「仮定」して
現実を直視する。
そういうことをやっていこう。
※この記事は岡田さんの4月のこの記事↑から
インスピレーションを受けて書いたものでした。
亜澄(あすみ)
Life is a Beautiful Journey.
人生は、愛することを学ぶ旅。
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