敢えて不快に飛び込んで得たギフト。
亜澄(あすみ)です
*
自分と向き合うってどういうことか。
それって時に、心の奥底に貯まりに貯まった
ヘドロみたいな、汚い、臭い、嫌~な淀みと
向き合うこと。
今回の北海道旅行(正確にはお葬式参列)
は、まさにそんな経験となりました。
北海道の旅について
今までの記事はこちらから
そもそも、なんでそんなにも苦手な
親族の集まりにちゃんと行くことにしたのか。
本当に本当に嫌だったら、お葬式とはいえ
ダダをこねまくれば
行かなくても済んだかもしれない。
でも、その時私には駄々をこねるという
発想もなかったんです。
なんでだろう?と後から考えてみました。
自分を押し殺していたから?
「お爺ちゃんのお葬式にはいかないといけない」という
常識に合わせようとしたから?
なんだかそれは違う気がしたんですよね。
そういうのもあったのかもしれないけど、
それ以上に、私の場合は
好奇心が勝ったから、な気がしました。
実家に戻ってみようか、と思った時もそうでした。
こうやって色々学んで
自分と向き合う実験をしている最中の今、
わたしが最も苦手とする
北海道(親戚の集まり)というイベントで
どんなことが起こるかな?
神様は何を教えてくれようとするかな?
と、ちょっと興味が湧いたんです。
だから「断る」という選択肢を
思いつかなかったのだと思う。
*
そしてお通夜、お葬式とイベントをこなす中で
自分が思っていた以上に親戚コミュ障である
という事実を突き付けられました…
(こういう宴会みたいのがホント無理)
(会社や友達なら平気なのに)
し、しらない人と話せない…
こわい…
ていうか、わたし、明らかに浮いてる…(笑)
いい大人なのに(笑)もう散々。
故人の唯一の孫だというのに、
気の利いたことは何もできない、
こどもみたいな自分。
そこで始まる安定の自分責め。笑
※自分を責めてることに気づいても
すぐには辞められないので、
とりあえずその自己嫌悪は
感じっぱなしにして放っておきます。
母親がずっと視界に入る位置にいるのもつらいし(笑)、
もっと言ってしまえば、おばあちゃんも苦手。
(母親と同じく過干渉気味の気があり、さらに認知症気味になってきたので。そして私はお年寄りとの接し方が分からない。)
そんなこんなで数日を過ごして、
わたしは多分、すごく疲れてたんです。
で、3日目(金曜日)。
おばあちゃんの家で
母親を含めた親戚団らん…が始まりそうになり
さすがに耐えられなくて、
独りで散歩に出ることにしたんです。
※母親のお姉さんである叔母さんは
私の状況を知っていて、
とっても理解してくれているので
私のこういう自由をサポートしてくれてました。
この雪道ね。
独りで外を歩いて、ほっとしました。
そしたら、どっと負の感情が出てきました。
外だったけど、普通にわんわん泣きました。
無理、もう1秒たりとも耐えられない。
今すぐ帰りたい。
(で、実際1日早く帰りましたからね)
そして、同時に気が付いた。
どうしてこんなに親戚や、北海道にいることが辛いのか。
*
私は子供の頃、ほぼ毎年、
何故か一人で北海道の
お爺ちゃん、お婆ちゃんの家に行かされていました。
4歳とか5歳の小さい子が
ひとりで飛行機に乗って、1週間も2週間も
遠い北海道の祖父母の家に滞在するんですよ。
なんで一人で行かされていたのかは分からないけど
飛行機代の節約のためかもしれないし
父親と、母親ファミリーが微妙な関係だったからかもしれない。
横浜と旭川。
私の家は洋風マンション、お爺ちゃんの家は和風一軒家。
地域柄か世代のせいか、出てくる食べ物も違う。
そもそも環境の変化が苦手な体力のないわたしには、
色々と耐えがたいことでした。
※あんまり楽しくなさそうな当時の写真(笑)
北海道に行くと、
皆は全力で私を楽しませようとしてくれました。
私はみんなに愛されていました。
それは痛いくらいに分かりました。
だけどそれとこれとは別で、
幼稚園の子どもが母親と離れて
いつもと違う環境で暮らす、というのは
精神的にかなり苦痛を強いられました。
おまけに、
半分冗談半分本気?で、
あすみ~、もう横浜なんて辞めて
北海道で一緒に住まないかい?
なんて何度も言われた。
(母親が父親に暴力を振られてることはみんな知ってたし、
もし離婚したら本当にそうなるだろうから結構シャレにならなかった)
本当にそうなってしまうんじゃないかと、
私は本当に恐ろしかった。
横浜に帰れなかったらどうしよう…
小さい私はそれはもう、怯えました
はずでした。
けど、私はそれを忘れてたんです。
父親と母親への恐怖や怒りでいっぱいいっぱいで、
北海道で感じた怖さは二の次になっていた。
だから、いつも北海道の親戚の家に来ると
なんとなく言いようのない気持ち悪さや怖さを感じていたけれど、
その理由は分からなかった。
というか、その不快感・恐怖を見て見ぬふりをしていた。
そのことに、この散歩中に唐突に気づいたんです。
もう、涙が止まらなかった。
そして自分にごめんね、って謝りました。
本当に長い間、怖かったね。
本当にごめんなさい、って。
そのとたん、すごく安心しました。
「自分」と繋がった時特有の、
じんわり心の底から暖かくなる感じ。
わたしは、こんな風にひとつひとつ
自分との繋がりを取り戻す作業が好きなのです。
*
今回の私のように、
不快感と敢えて向き合う
ということをすると、自分への理解が加速します。
無理にやることはないけど、
本気の人
自分自身への好奇心が強い人
にはお勧めの方法なんです。
自分ときちんと向き合おうとする人には、
神様はちゃんとギフトを用意してくれている。
それが確信となった出来事だったのでした。