○○のせいで幸せになれない、はもう辞める。

 自分の人生には自分で責任を持つこと。
と、大好きなyukiさんはよく言っている。
わたしはこの「人生に責任を持つ」っていうのがイマイチ分からなくて、自分が出来てるんだか出来てないんだかすら謎でした真顔
だけど最近「もしかしたらこういうことかな?」と思ったことがあるのでシェアさせてください。
✳︎
まだ保険会社にいた頃、ある日会社の飲み会で「わたしがカナダに留学していた」という話題になった。(といっても3ヶ月くらいだが)
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(ホームステイ先にいたにゃんこのKitty♡)
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(ご近所の光景。田舎である。)

すると(課で一番偉い)次長をはじめ何人かが、↓こんなようなことを言った。
留学かぁ、いいねぇ。こどもがいなければやってみたいんだけどなぁ。
家族がいるとどうもねぇ。
まだ自愛も心理学も全く縁のないわたしだったが、それでも思った。
それ、言い訳じゃない?と。
こどもや家族を言い訳にして、自分が何かに踏み出せないことをごまかしているだけ。
(この人たちが本当に留学したいのか、ただ「やりたいこと」「自由」の象徴としての留学だったのかは、不明。)
踏み出せないのはこどもや家族のせいではありません。
そこに留まってるのは彼らの責任。彼らの意志。
今ならあの頃よりもよーくわかるのです。
✳︎
少し変わってわたしの話。
学生の頃、時々図書館にいって「DV」「虐待」の本を読んだりしていた。
読むのは辛いから時々しかやらなかったけど、それでも自分が育ってきた状況が客観的に書かれたデータがほしかったから。
偉い先生たちのそれらの本によると、間接的にではあれどうやら我が家は立派な「児童虐待」家庭のようだった。
そしてわたしのようなケースで「虐待」されたこどもたちの多くは精神不安定、情緒不安定になり、病気になったり非行に走ったりするらしかった。←うちの兄は超不良なのでこのパターン。
幸いにも(?)わたしは病気にも不良にもならなかったけれど、どの本にも書かれていたある内容が気になった。
虐待されたこどもは、将来自分のこどもにも虐待を繰り返す。
冗談じゃない!と思った。
わたしは悪くないのに、選ぶことが出来ない親のせいで未来にまで不幸の影を落とされるなんて。
怖かったからそのことは普段あまり考えないようにしていたけれど、それでも呪いのようにわたしの胸に刺さっていた。
そして社会人になってからは、恋愛が上手くいかないことも幼少期の経験に関係があることを知った。
わたしは自分の出自がものすごくコンプレックスになり、
こんな家庭で育ったわたしが普通の幸せを手に入れられるはずがない。
空いてくれる人がいるはずがない、と本気で思うこともあった。
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だけど同時に、矛盾するようだけど、わたしは諦めなかった。
とんでもなく厄介だと思ってた自分の性格の原因は実はわたしのせいではなく、小さい頃に受けた傷であったと知ってから
じゃあこの傷を癒せば幸せになれるはず!
と考えた。
ただただ出自を呪って親のせいにして、その場所に留まることはしなかった。
というか留まるという発想がなかった。恐ろしすぎて。
だから色々頑張った。
結果、いまわたし、結構幸せ。
まだまだ癒されてないけど、でも幸せ。
そしてこれからも癒しを、自愛を続けていく。
親のせい、こどものせい、会社のせい、あいつのせい
「きっかけ」は確かに外的要因かもしれません。
でもそこに留まり続けてるのは、あなた。
あなたの責任。あなたのせい。
あなたのせいだということは、あなたがいくらでも変えていけるということです。
これからの人生は、100パーセント私たちの自由なのであります。
だから何かのせいにして何も行動しないのは、もうやめよう。
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ラブ
Asumi
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